伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・下) - 翻刻

藩翰譜(八・下) - ページ 14

ページ: 14

翻刻

【右丁】 領なれは景勝かならす佐々ほろほしてとらんとす しかるに今秀吉の使を承てのち彼国をうたん事 秀吉と国をあらそふに 似たりまた景勝か一度も かれとたゝかはて秀吉の望に任せなんもいひかひなし 所詮此度かの国にむかつて越後の武者の弓矢 とるやうおことか見参に 入部【ママ 都ヵ】への餞別すへしと都合 其勢八千人十月廿三日越後国をたちて 越中国 宮崎の城におしよせて一時に城をせめをとし戸山 の城のこなたなる滑川のほとりにせめ入こゝかしこ 放火して引かへし木村をめしておことか見たらんやう 【左丁】 秀吉にかたりて景勝此国うちしたかへん事いとやす しさりなから秀吉の望にまかせ 其功をはゆつり 訖ぬと申せ又両家のよしみむすはん 事は よな 景勝よくはかつてこそ返答には及ふへけれとて使 をは帰されたり明れは天正十三年四月秀吉越中国に 発向し佐々戦まけて降参す 《割書:秀吉家譜に 越中をうたれ|しは此年七月 秀吉関白》 《割書:に任せられし後と|すあやまれる歟》五月十三日辰刻はかりに秀吉石田治部 少輔三成木村弥一右衛門尉たゝ二騎を具して雑兵わつか 三十八人越後国落水の城下に来て此城を守りゐる 須賀修理か許に使たてゝ上杉殿へ 秀吉の 使として