翻刻
【右丁】
ほろほされてこれも景虎をたのみて越後国におち来る
景虎故主の義を存して喜駄川の辺に館かまへて
むかへ入御館殿とあふきつゝよきにかしつき参らせんか
憲政大によろこひ景虎に上杉の家つかせ管領の職
ゆつりしかは弾正大弼従四位下藤原政虎と名乗て
上杉の管領とは申けり 政虎やかて入道し謙信と号《割書:ス》
《割書:甲陽軍艦には廿三才|にて入道せしといふ》さらは北条をうつて当家の仇報ん
とて永禄三年三月信濃上野下野常陸武蔵の軍勢
を催し都合其勢十万騎相模国に発向し小田原の
地におしよするかゝる所に武蔵国忍の成田か心かはり
【左丁】
して国々の軍勢ちかくになつて引かへせは謙信も力およ
はす本国にそ帰ける謙信つら〳〵おもひしかは当時戦
国の最中なれはとて居なからに朝家の官加階を望
み亦弓箭の道にたつさはつて 将軍家に見参せさ
らん事冥の照覧もおそろしく又武勇の恥辱也とて
隣国のかたきのかたに一々に使者たてゝこのよしを
つけて此年五月雑兵あはせてわつかに二千八百人を
引くしかたきの国々うちわたりて都にのほりまつ参
内の後公方へこそまいりたれ義輝将軍御感なゝめ
ならす御諱字賜て 輝虎と あらためられ管領の職