伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(八・下) - 翻刻

藩翰譜(八・下) - ページ 8

ページ: 8

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【右丁】 ほろほされてこれも景虎をたのみて越後国におち来る 景虎故主の義を存して喜駄川の辺に館かまへて むかへ入御館殿とあふきつゝよきにかしつき参らせんか 憲政大によろこひ景虎に上杉の家つかせ管領の職 ゆつりしかは弾正大弼従四位下藤原政虎と名乗て 上杉の管領とは申けり 政虎やかて入道し謙信と号《割書:ス》 《割書:甲陽軍艦には廿三才|にて入道せしといふ》さらは北条をうつて当家の仇報ん とて永禄三年三月信濃上野下野常陸武蔵の軍勢 を催し都合其勢十万騎相模国に発向し小田原の 地におしよするかゝる所に武蔵国忍の成田か心かはり 【左丁】 して国々の軍勢ちかくになつて引かへせは謙信も力およ はす本国にそ帰ける謙信つら〳〵おもひしかは当時戦 国の最中なれはとて居なからに朝家の官加階を望 み亦弓箭の道にたつさはつて 将軍家に見参せさ らん事冥の照覧もおそろしく又武勇の恥辱也とて 隣国のかたきのかたに一々に使者たてゝこのよしを つけて此年五月雑兵あはせてわつかに二千八百人を 引くしかたきの国々うちわたりて都にのほりまつ参 内の後公方へこそまいりたれ義輝将軍御感なゝめ ならす御諱字賜て 輝虎と あらためられ管領の職