翻刻
【右丁】
れとも天正年中我
孤光公青山常陸介忠成君と同じく
台徳廟の御伝と成り給ひ慶長五年関ヶ原
の役終して明の年又同しく百人組の頭と
なり給ひて配下の騎士歩卒等を各其屋敷
のうちに住はせ置て内藤宿青山宿と称し
給れは関東
御入国の後いく程なく贈はれしに違あるへからす
又俊足の遍き処をもて 御屋敷になされしと
云事も中根東平翁か玉川園の記を披るに
其事を載せ置れぬれは古来相伝の説疑ひ
【左丁】
なかるへし善哉こたひ両士の此事を挙する
蓋し聖人の意にも叶ふへきなり礼記郊特
牲篇曰古の君子使之必報之迎猫為其食田鼠
也迎虎為其食田豕也迎而祭之也と云へりこれ
古へ大蜡の祭りとて毎年十二月天子の行はせ
給ふ祭礼なり此時猫と虎とを祭り給ふは
何故なれば猫は田鼠を取り虎は田豕をとりて田地
の害を除く故に其功に報ひて祭らるゝと也
又王制篇曰獺祭魚豺祭獣といへり是も魚と獣
とは獺豺の食物なきその食物をもつて身
命をつなく功を知りて獺豺の畜類だにも