翻刻
【右丁】
めて給るへきにて候と申徳川殿御感なゝめならす人々に仰て
足軽の兵をめしけるに或はうたれ或はおちうせて残る所
二三十人には過す忠世か手のものおし合て百余人敵の陣取
ける犀か㟞におしよせ鉄炮こと〳〵くつゝけさまにうつたる
武田か陣には今宵夜討あらんとはおもひよらす俄事にてあり
かたきおもふにも似ぬ多勢也とてあはてふためく事大
かたならす大膳大夫入道信玄大に驚き今日の合戦に宗徒の
兵おほくうたせ今宵の夜討いかにもかのふへからす家康か
軍のやうあなつりにくしとて明れは井谷に引て入《割書:今夕武田|か兵犀か》
《割書:㟞におちて死するもの数千人なりといふひかことにや大久保か物語》
《割書:幷に創業記にも見へす甲陽軍鑑にも此事を論したり》
【左丁】
天正三年四月武田四郎勝頼甲斐国をたつて遠江国を経
て三河の国長篠の城におしよせ徳川殿の御父子うしろ
まきせんとてうつたち織田殿の加勢乞はる御使度々に及て
後信長父子数万騎の兵を持来り/あるみ(荒海)原に打向ひ
流を前にして柵詰て陳【陣】をとらる此あるみ原といふ南北高
山そはたつて其間三十町には過すのりもと瀧沢ふたつの
川縦横になかれて落合たり勝頼かたきをつきぬと聞て
長篠の城の上に当て鳶の巣といふ山に要害をかまへ
宗徒の士大将七人をとゝめて其身は一万五千余騎を引
卒し瀧沢川をわたつてあるみ原に打出谷川を前に