翻刻
【右丁】
散々に戦なつてにけられは【?】四郎は主従三騎にて本国
さして落さりぬ軍すてに事終て織田殿大久保兄弟をめ
され此度の軍に利を得し事偏に汝等兄弟戦功抜群
成し故也とて感したまふ事大かたならす《割書:此後安土にて|忠佐に小袖給ひし》
《割書:事大久保か物かたり|つまひらかなり》此年六月七日忠世二俣の地を給ひみなの原に
要害を構て二俣の城をせむ武田か加勢も来らされは城の大
将依田右衛門尉信蕃こらへかね忠世に城を明けわたし高天神の
城に引て入城をも忠世に給て同九年に至るまて凡七年か
間かたきの境に打出て日夜の戦ひいとまなく同十年武田
四郎亡ひし時依田右衛門尉信蕃駿河の国田中の城に
【左丁】
ありこゝをも忠世請取ける今年六月織田殿父子うた
れたまひ甲斐信濃ふたゝひみたる忠世仰を承り宗徒
の人々うちつれて甲斐の国をうちしたかへ信濃国に至て
諏訪の小太郎を始とし当国の国人等をこと〳〵く降すかゝる
所に北條左京大夫氏直上野国をしたかへ碓氷峠を打越
信濃国より甲斐国に入て徳川殿と戦ふ又はからふて真田
安房守昌幸御方に参るかくて諸方の戦氏直の軍大に
利をうしなひ徳川殿に中なをりし信濃上野を経て相模
国にそ帰られけるかゝりし程に徳川殿古国府に御陣を
居られ山林にふしかくれし武田か家の者とも皆御家人