翻刻
【右丁】
にめされし後十二月二十一日浜松に帰玉ふ時忠世をめされ
甲斐信濃の国々打続たる兵乱に人の心いまた定まらす或は
上杉に志を通し或は北條に謀を合す汝此所に留て守る
へしと仰下されたりはしめ信濃に向ひし時忠世徳川殿
に申けるは彼国の住人依田右衛門尉信蕃去る比駿河国を
さりし時御使を給て御方にめさるゝ事度々におよへとも
参らす主の行衛覚束なしとて甲斐の国に帰りき武
田か兵多き中にかれか忠を存せしに似たるもの候はす又忠世
二俣田中両城をかの手より受取て候へはいさゝか其所縁に
ひかれて此程は二俣城に迎とつて候ひぬ又柴田七九郎つみ
【左丁】
かうふつて年久しあはれ御免の仰承て信蕃と同く
信濃国にさしむけは依田か家子郎等馳集りしたかはぬ国
人等おしよせ〳〵せめふせは彼国をしつめん事御勢むけ
らるゝまてもあるへからずといひしかは忠世か申旨に任せらる依
田柴田信濃の国に向て去十一月まつ韮山の城を攻おとし
高たな【高棚】小田井等の城〳〵【々】せめやふれは《割書:依田おとせし|城九ツといふ》信蕃本
領を賜ひ《割書:佐久間郡【ママ。佐久郡】六万石也其後甲斐駿河の地くわへられて十万石に至る|〇山中忠兵衛か記せし処をみるに依田か功莫太なり大久保か家の事なら》
《割書:ねは略|しぬ》柴田をは忠世と共に甲斐の国にそ留らることし六月
の終より十二月に至てわつか七月にたらすして甲斐信濃
をしたかへしは忠世か功こそ多かりけれ《割書:大久保か家|大功の四也》ことし忠世が