翻刻
【右丁】
はからひにて諏訪小太郎御方に参りしに酒井左衛門尉
忠次と争論の事有てをのか城にたてこもるかくては此国の侍
こと〳〵くそむき参らせんと見へけれは忠世又仰を承り諏訪
か許に使たつてとかくこしらへしほとに明れは十一年三月に諏
訪か父子また御方に参る又上田の城をもとつて真田にぞ
はあたへけれ明れは十二年徳川殿北畠殿をたすけて尾張
の国にむかひ給ひしかは忠世御後に留て浜松の城を守る
《割書:三遠記といふ書にいついはく五ヶ国の軍兵凡四万五千余の人質をあつ》
《割書:かり守ると云々此事大事なれハ忠世に仰下されしと云にもあるへしされと》
《割書:大久保の物語にも又其余の記にも|もれたる事いふかし》十三年九月廿三日依田信蕃舎弟
同く伊賀守信幸善九郎信春岩丸の城にをし寄信蕃信幸
【左丁】
敵の矢にあたつて死し《割書:家忠日記には此事天正十一年二月の事とす|山中忠兵衛か記を見るに天正十一年より十二》
《割書:年に至て依田真田と戦ふ事度々におよひ中にも十二年八月二日加野川の》
《割書:戦に首二百余をうちとるみかたも八十騎うたると記すしかれは十一年に依田》
《割書:うち死せしといふはあやまれるにや又家忠日記に善九郎も岩丸にてうたれ》
《割書:ぬといふこれも山中か記とはおなしからす》
信春又いた手をおふ大将すてにかくのことし士卒なとかは
ためらふへき息をもつかす戦し程に岩尾小次郎城を落
《割書:徳川殿依田兄弟か討死せしを大に感し給ひ信蕃の嫡子竹福丸に父》
《割書:が領十万石を給ひ天正十五年叙爵する御家号御諱の字給て松平》
《割書:修理大夫康国と名乗十八年小田原の軍に康国手勢三千八百を引て碓氷口》
《割書:より攻下り松井田の城をせめおとし首四十三うちとり八王寺惣社の両陣を》
《割書:もおとす上野の長根の城をもせめてうち死す康国か弟松平右衛門大夫康直家を》
《割書:つき関東にうつらせ給ひし時上野の藤岡の地三万石を領す康直兄康国か妻》
《割書:にそふあるとき御家人之内にて康直と碁をかこみてまけし人の我は碁にはまくるとも》
《割書:父の妻をは我妻とはすましものをといゝしかは康直こらへすうちとつてにけさりぬ其》
《割書:後結城にて賓客のやうにてめしをかれ録【禄】七千石を|賜ふその時は入道して加藤宗月と申せしなり》忠世依田か兄弟