翻刻
【右丁】
十四年十二月四日駿河の国府へ御舘うつさる俄の事にて
はあり年も暮んとす家うつす御家人壱人もなし忠隣
はかりそうつる徳川殿も悦せ給ひ人〳〵【ゝ】も皆感し
あへり《割書:創業記には駿府へうつらせ給ふへきよしは去天正十二年より披露|ありしかと関白殿と御軍はしまりしかはその事やみぬ御中なをり》
《割書:の事成て十四年の十二月御うつりありと記せり異には十四年九月十一日に》
《割書:まつ御うつりありて廿四日に岡崎におもむき廿七日に浜松にかへらせ給ひ十月に》
《割書:関白殿と御和睦なるとのせらる|されとも諸記皆創業記に同し》十六年四月徳川殿の御供して上洛
し叙爵して治部大輔になり《割書:其後に|相模守》十八年関東に移給ひ
し時武蔵国羽生の地を賜ひ《割書:一万|石》文禄二年十二月中納言殿に
附らる同四年当関白秀次御謀反の企ありしとて太閤の
御不審蒙らせ給ひかくては一定うしなはれぬと思召当時
【左丁】
中納言殿の都にましますをたばかつて捕まいらせ徳川殿を
頼みて讒言を申披んと四月二日の暁中納言殿に御使あつて
今朝の朝餉まいらせなんまいらせ給へよへより【?】仰らるへきをいさ
さか事にまきれてこそと宣ひつかはさる忠隣頓て心得
て御使に対面して忠隣謹て仰蒙りぬ秀忠いまたいと
けなしいつも日たけて起ぬ御返事遅々に及はん事憚
すくなからすまつ御使をは返し訖ぬ忠隣仰を伝て頓て
参らすへきにて候とて御使を返し土井甚三郎利勝を
御供にて中納言殿をはひそかに伏見の城にいれまいらせ
《割書:大炊頭か伝と|あはせ見るへし》忠隣はとゝまる関白の御使度々におよひて後忠