翻刻
【右丁】
寺を焚はらひ四条の坊にありしをやきこほつて焚すて
ぬはてれんいるまん抔といふ彼の国の師弐人は資財うち
すてゝ西をさしてにけゆく同十九日関東にては忠隣か男等
をめして本多佐渡守正信仰を伝ふ抑去年忠隣か養女
を以て山口伊豆守重信か妻とすかねて両御所の御聴にも
達せす執事の身として始に憲法を犯すその罪特にか
ろからすまつ忠隣か身は其所領を近江の地にうつされ井伊
兵部少輔直勝に預られ訖ぬ子息忠兵衛と同主膳正二人は
酒井備後守忠利預人として武蔵国川越城に召禁らる
しかりといへとも大久保累代の功没すへからす故に故加賀守
【左丁】
忠常か所領をは其子仏勝丸に賜ふ所なりとそ聞へける此日
《割書:一説に|廿一日》安藤対馬守重信御使を承り宗徒の人々引具し
小田原城に向て忠隣か郎従等追却し城郭をこぼつ《割書:外郭|をや》
《割書:ふつて本城を|とゝめらる》同廿四日佐渡守正信父子等忠隣に配流の奉書を
下すかねてより板倉内膳正重昌父子久しく対面およはねは
身の暇賜て上洛すと披露して忠隣にさきたつて都に
のほり《割書:去年十二月十四日|に江戸をたつ》父伊賀守勝重に仰をつたふ勝重すてに
其期におよひしかは相模守か旅館に行向ふ忠隣折ふし象
戯に対し居たりしか勝重を座に請し忠隣配流の御
使たる由先達而承り訖流人の身となつて後かゝる