伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・中) - 翻刻

藩翰譜(四・中) - ページ 23

ページ: 23

翻刻

【右丁】 寺を焚はらひ四条の坊にありしをやきこほつて焚すて ぬはてれんいるまん抔といふ彼の国の師弐人は資財うち すてゝ西をさしてにけゆく同十九日関東にては忠隣か男等 をめして本多佐渡守正信仰を伝ふ抑去年忠隣か養女 を以て山口伊豆守重信か妻とすかねて両御所の御聴にも 達せす執事の身として始に憲法を犯すその罪特にか ろからすまつ忠隣か身は其所領を近江の地にうつされ井伊 兵部少輔直勝に預られ訖ぬ子息忠兵衛と同主膳正二人は 酒井備後守忠利預人として武蔵国川越城に召禁らる しかりといへとも大久保累代の功没すへからす故に故加賀守 【左丁】 忠常か所領をは其子仏勝丸に賜ふ所なりとそ聞へける此日 《割書:一説に|廿一日》安藤対馬守重信御使を承り宗徒の人々引具し 小田原城に向て忠隣か郎従等追却し城郭をこぼつ《割書:外郭|をや》 《割書:ふつて本城を|とゝめらる》同廿四日佐渡守正信父子等忠隣に配流の奉書を 下すかねてより板倉内膳正重昌父子久しく対面およはねは 身の暇賜て上洛すと披露して忠隣にさきたつて都に のほり《割書:去年十二月十四日|に江戸をたつ》父伊賀守勝重に仰をつたふ勝重すてに 其期におよひしかは相模守か旅館に行向ふ忠隣折ふし象 戯に対し居たりしか勝重を座に請し忠隣配流の御 使たる由先達而承り訖流人の身となつて後かゝる