翻刻
【右丁】
《割書:つみ申ひらきて給はれといへとも事かなはさるを大に恨て年月を送りしか此春》
《割書:養女の事によつて相模守御覚よからぬと聞て大によろこひきつと案し出たるは》
《割書:本多は日比大久保と不快のさたあれは此人につきて相州の事を讒して御恩かう》
《割書:ふるへしと思ひすまして八十有余の馬場かいくほとのよはひにいかはかりの栄花にほこ》
《割書:らんとかあらぬ事とも思ふさまにかきしたゝめて彼御舘に参てさゝけしかはにわか》
《割書:にこゝより江戸へ引返し玉ひ相模守をして都に上り邪法を禁すへしと仰下され》
《割書:都に上りし跡へ御使有て郎従等を追出され城をもこほたれやがて大御所江戸を》
《割書:御立あつて小田原にいたらせ給へは将軍家も同くかの城に来らせ玉ひ御対面》
《割書:の後大御所駿河へおもむかせ給ひしに前日より往来の旅人をとゝむる事西は》
《割書:三嶋より東は大磯平塚にいたり箱根の山中は道をさしはさみて五間て》
《割書:にひしと弓鉄炮をたてならへて驚【警】衛をおひたゝしくせしといふも世の常なり》
《割書:同しき日将軍家も江戸へ帰りせ給ひ将軍家の奉行職に相模守父子と音信通す》
《割書:ましきよしの起請文をたてまつらしめらるといふ此外は本文にしるせることし》
《割書:大略此おもむきによつて此獄の事は推してしるへきものか又世に大久保をは本多》
《割書:か讒せしが其むくいにて其子上野介同しやうなる罪にあふてなかく家をほろぼす》
《割書:しといふ事也正信ほどの人いかてかさる事あるへきこれも信しかたき事の》
《割書:一条にぞ|ありける》
加賀守忠季は故加賀守忠常か子相模守忠隣か孫也八歳にして
【左丁】
父にはなれ祖父か罪蒙りしとき別の仰ありて父忠常か遺領
を賜たれと《割書:二万石此時|八才なりと云》祖父か事によつて蟄居す寛永二年
御免蒙て始て出仕す同三年十二月叙爵し同九年美濃国
加納城を賜《割書:五万|石》同十六年十一月播磨国明石城に移《割書:七万|石》慶
安二年七月四日肥前国唐津城に移《割書:八万三|千石》寛文十年四月
十九日六十七歳にて卒嗣なかりしかは右京亮教隆か二男出羽守
教博を以てよつきとす教博家をつきて延宝五年七月廿五日
執政の職に補せらる加賀守に任し忠朝と改め名乗り又四位
の侍従になされ同六年四月廿三日下総国佐倉城に移《割書:本領の|まゝ》
嫡子安芸守忠恒二男は帯刀教房三男ハ宇津大学教武と