翻刻
【右丁】
後上総国裳原の庄を領す《割書:五千|石》関か原合戦の時中納言殿
の御供して山道よりのほる明れは慶長六年の春駿河
国沼津の城を給ふ《割書:二万|石》同十九年七十七歳にして卒す
世継なけれは家も絶へ城も除かれぬ《割書:折ふし忠隣罪かうふり|しかは忠佐が家もおのつから》
《割書:たへたる|といふ》
【左丁】
石川
長門守源康通は前ち鎮守府将軍陸奥守義家朝臣の五男
左兵衛尉義時の三男武蔵下総等の権守義基の嫡子河内守
義兼か後胤也義兼河内国石川の郡に住しけれは石川の判官
代と申す其子孫終に石川とそ名乗ける義兼か七代の孫
小七郎朝成の時に外祖小山下野守高朝に養はれ改めて
小山と名乗朝成か曽孫を下野の権守政康といふ文安年
中の事なりといふ始て三河国にきて小川の城に住しつゝ
又石川とは名乗けり《割書:親鸞か宗の祖蓮誉といふか下野国より政康を|くして此国に来れるなり按するに昔し親鸞》
《割書:宗の門徒にしかへき武士壱人を撰て仏法■■の大将として我か法にした|かはぬものをすゝめ攻ふせ〳〵帰依せしむこれを其時に一揆といひし大坂長崎》