翻刻
【右丁】
《割書:加賀越前等の一揆といふ是也北国の大将は下野の住人下妻の末葉にして加賀|の小山といふ所にあつて北国をなひかせしともあり本願寺の下妻其門葉なり》
《割書:加賀の小山又御山とかく也すなはち今の金沢の城其跡也といふ石川も此類にて|三河国一揆の大将のために蓮誉かつれ来りしなり》
此時岩津殿《割書:左馬助親忠|殿の御事》権守にむかつて汝の子一人我に得させよ
我か家のおとなにすべしと仰けれは政康かしこまり悦て生年
十四歳になる二男を奉る岩津殿手つから烏帽子きせ左
兵衛尉親康とめされしより徳川殿譜第宿老の人とはなつて
けり其子左近大夫忠輔岩津殿より此かた三代の君につかふ
其子安芸守清兼安祥殿より徳川殿まて三代に仕へし宿
老にて酒井雅楽介政康と共に家の事をつかさとる安祥殿
うせたまひ岡崎の贈大納言家伊勢の国に出させ給ひし時酒井
【左丁】
安部等と謀て終にむかへ入奉り水野殿の御娘むかへて北の方
とかしつきまいらせ徳川殿御誕生ありし時雅楽介政親御竹刀
を献れは清兼御蟇目の役に候す岡崎殿今川治部大輔殿と
御よしみむすはれしも清兼を御使下【?】遣されしなり安祥の
城せめやふつて徳川殿を迎えとりしにも清兼を大将にて
三河の人々むかひし也駿河国府にいらせたまひしにも嫡孫
内記御供に奉る《割書:伯耆守|数正也》徳川殿御軍始めるへしとて三河国
梅か坪廣瀬等の城を攻らる清兼いさめまいらせて岡崎の城に
引かへされ程なく又駿河に帰給ひ義元朝臣ひたすらにとゝめ
まいらせ本国にかへし給はされは清兼本多豊後守廣孝天野