翻刻
【右丁】
甚右衛門尉三人うちつれ〳〵駿河の国府にゆきむかひ今川
殿にうつたへて徳川殿をむかへしかと義元ゆるしたまはねは
力及はて帰りしか程なく義元うたれたまひ岡崎には帰らせ
たまひたり《割書:此事本多豊後守か|伝をあはせて見るへし》清兼男子二人あり嫡子右近
《割書:徳川殿駿河にわたらせ玉ひしうち安部大蔵と共に岡崎の留守たりこれ義》
《割書:元朝臣の仰によつてなり年わかくして死す伯耆守数正か父なり按するに》
《割書:此右近後に伯耆守といひしにあらすや永禄より前の諸記に伯耆守としるせる》
《割書:あり又徳川記に伯耆守康昌と記せつあり此右近か事にや世にしれる所の》
《割書:伯耆守数正は永禄の頃内記と申伯耆守か申せしは其後の事也たゝし》
《割書:数正はしめ御諱字給り康昌と名乗りしかとも上方に参て出雲守と》
《割書:あらためし時なをもあらためて数正といひしか詳ならす|一説に家成か兄則伯耆守といふ》
二男日向守家成は是長門守康通か父なりけり《割書:石川か代々皆|御諱字を賜》
【左丁】
家成若かりしより徳川殿につかへ御軍始の日より大高鷲
津丸根等の戦を初としてこゝかしこの軍に従ひまいらせすと云
事なく高名数をしらす一向専修の門徒等かそむきまいらせ
し時家成一人御方にありて御使を承り戸呂の要害に
ゆき向ひ御かたきを降参させ国中こと〳〵くにたいらく今川
上総介氏真外舅乃武田に《割書:信|玄》駿河の国府をおとされて遠江
の国懸川の城にたてこもる徳川殿と戦ひ又此城にもこらへ
すして家成ならひに酒井雅楽介政親につきて降をこひ当国
をさけわたして相模国へおちたまへは家成頓て此城をそ賜
ける《割書:永禄十二年の春の事也一説是よりさきは酒井忠次と家成と二人三河|の国東西の旗頭たりしに懸川の城にうつりしかは旗頭の事は伯耆守に》