伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・中) - 翻刻

藩翰譜(四・中) - ページ 31

ページ: 31

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【右丁】 《割書:ゆつりし|といふ》元亀元年の秋家成酒井左衛門尉忠次と大将を承り 都合其勢弐千人織田殿をたすけんとて近江国に発向し佐々 木承禎入道か多勢と一日かその間戦事二十余か度終にかた きを追ちらすこゝに近年武田に与せし遠江国人等三方か原 の合戦後本国にたち帰れはこゝかしこに要害をかまへてたて こもる《割書:三方か原の戦には懸川の城を|守るにより軍にあはずといふ》家成これらをせめんとて天正 元年三月十五日久野三郎左衛門宗能とまつ可久輪の城におし 寄て忽に攻やふる残る城々こらへすしてせむるまてもなく おちうせぬ同六月二俣の城をせむことし九月武田四郎勝頼 遠江の国に発向し懸川の城をめくり見るに此城中々た 【左丁】 やすくはおとされしと覚へけれはせむるに及はすして引て 帰る《割書:此時家成二人をして小豆坂の切通しにかくしをき鉄炮をもつて|勝頼をうたんと斗る馬場美濃守信春か一人をとらえた【?】る甲陽軍鑑》 《割書:に詳|なり》高天神の城落し時家成か男長門守康通首十 六を献る武田滅し年の秋康通大久保七郎右衛門忠 世とおなしく甲斐信濃うちしたかへ天正十二年信 雄卿をたすけ給ひ羽柴と軍起りし時日向守家成 懸川の城にとゝまり長門守康通は小牧の陣に 従ひたり長湫の合戦上方の軍すでに利を失ひ 秀吉の多勢楽田を打たつて長湫にむかつて よす本多平八郎忠勝戦ひつかれたらん御方あら手の