伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・中) - 翻刻

藩翰譜(四・中) - ページ 32

ページ: 32

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【右丁】 多勢と軍せんは覚束なし馳くはゝつて御先をかけんと て小牧をいつ長門守康通もおなしく続て馬をはせ尾 幡の御陣にはせまいる頓て小牧に引返し給ひけれは戦に 及はす《割書:山中忠兵衛日記に詳也世の人本多か事の|みをしりて石川か事をしる事希也》小田原を攻られし に康通先陣にそ候ひける此程は家成すてに老ぬれば 康通つねに軍にそ従ひけるされはことし関東へ移給ひし 時家成伊豆国梅縄の城をたひけれは《割書:九千|石》上総の国鳴渡 の城を康通にはたまふてけり《割書:二万石これより先天正八年家の事|嫡子康通にゆつりしかは家成には》 《割書:別に所領をたまふに家成給はりし所領|をは外孫成堯にゆづりしといふ》関か原の戦ひに家成江戸 にとゝまれば康通上方にはせ向ひ松平玄蕃允忠清と 【左丁】 尾張の清洲の城を守る明れは慶長二年【六年ヵ】の二月家成 美濃国大柿の城を賜り《割書:五万|石》城をは大名の課にて修せ られたり同十二年七月廿七日康通五十四歳にして父 にさきたち子息安芸守わつかに九歳なれは家成又 家の事を行ひ同く十四年十月廿九日七十六歳にて 卒しけり大久保相模守忠隣か二男主殿頭忠総は家 成か外孫なれはとて其家をつかせけり康通か幼息を ば関東にめし下さる主殿頭忠総十五歳より召出され 十九歳にして小山関ヶ原等の御陣に従ひ慶長八年に 叙爵し外祖家成卒してその跡をつき大柿の城