伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・中) - 翻刻

藩翰譜(四・中) - ページ 33

ページ: 33

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【右丁】 を領すかゝる所に同十九年の春忠総か実父相模守 忠隣罪かうふりしによつて忠総もとちこもつてぞ 候ひけることし冬大坂の軍起りしかは忠総忍ひて はせ向ひ博労か渕をせめやふりて土佐座に乱れ入 福嶋の堤をも打やぶり舩場の地にそせめ入たる所 〳〵の戦功ならひなかりしによつて御勘当をは ゆるされけるふたゝひ軍起りしにもからめ手に《割書:京橋|口》 むかひ戦て首三十をきつて献る其後豊後国日田 の地に移され《割書:元和三年|のころ也》寛永十年十二月九日下総佐倉 の城を給ひ《割書:一万石加られて|六万石を領す》同く十一年に従四位下に叙し 【左丁】 此年近江国膳所の城に移り《割書:七万|石》慶安三年十二月廿四日 に卒す嫡子弾正少弼勝康父にさきたちてことし 七月八日に卒しけれは嫡孫惣十郎を嗣とす《割書:五万|石》二男 播磨守総長《割書:一万|石》三男上野阿波守正当《割書:七千|石》四男市正正総 に所領をわかちあたふ惣十郎祖父に継て明れは慶安 四年二月十一日伊勢国亀山の城に移り《割書:五万|石》承応の 元年十二月廿八日叙爵して主殿頭昌勝と云寛文 九年二月廿五日山城国淀の城に移り《割書:一万石を加られ|六万石を領す》 播磨守源総長は主殿頭忠総か二男父か遺領をわかち 賜ふ《割書:一万|石》これよりさき寛永十八年六月廿日御扈従組