翻刻
【右丁】
の番頭となされ《割書:此組新に|をかれし也》慶安元年三月大番の頭に
うつり父か遺領をわかちて後伊勢国神戸の城を
たまひ万治三年十一月廿二日大坂の城番となる河内
国石川郡をくはへ給ひぬ《割書:一万石くわへて二万石領す〇按す|るに総長か大番頭たる事は承応》
《割書:四年の九月に至れり此時神戸の|城給ふて職をゆるされしにや》寛文元年十月廿二日行年
五十七歳大坂に卒す其子若狭守総良父か家を
つぐ
【左丁】
鳥居 附土佐守成次
左京亮平忠政は伊賀守忠吉か孫彦右衛門元忠か嫡子なり
紀伊国佐野庄の地頭鳥居法眼か後胤重氏か男忠氏
父子いさゝか不快の事ありて三河国に下り住み子孫終に
徳川殿に累代譜代の御家人とは成たる也忠氏か十六代の
孫伊賀守忠吉安祥殿に仕へまいらせ岡崎殿の代に及ひ
天文十六年の九月当国わたりの戦に嫡子源七郎忠宗討
死す此度の戦にうち取給ひし地をわかちて忠吉に賞
せらる《割書:すなわち|わたりの地》東條の城降りし時かの城を守らせらるかくて
岡崎殿うせ給ひ徳川殿駿河の国府にわたらせ給ひし程