翻刻
【右丁】
今川治部少輔義元の下知によつて岡崎の城には安部大蔵石川
右近を留守として駿河遠江の軍兵をこめをき伊賀守忠吉
松平次郎右衛門重吉をして御領の事を奉行させて乃貢租税
悉くに押領せらる弘治二年正月十五日徳川殿御年十五にし
て岡崎城にいらせ玉ひしはらく御滞留の事ありし時忠吉
ひそかにつれ参らせ己か家の蔵共おしひらき米穀資財
一々に見せ参らせ抑君は今わひしくわたらせ給ふ共当国
の兵等は多くは譜代の御家人たり頓て彼等を召集らるゝ事
候はんに御資まつしうしては叶へからすされは其御時の料の為
忠吉年比かほとまてには支度して候也忠吉既に年老候へは
【左丁】
明日の命はかるへからす君はめてたう御成人なつて此国に帰り
いらせ給ひ此物共をわかつて御家人等に宛行るへう候と語り
慰め参らせいく程なくして義元うたれ玉ひ岡崎の城に
帰らせ給ひしに軍料資用事等たらせ給ひしかは忠吉か
功これ多し又徳川殿最初御官途の事を以て公家に申
させ給ひし時いかにもかなふましきよし聞えしに忠吉当家の
任例によつて近衛殿下に申ス旨ありしにこそ頓て宣下を
はなされける《割書:徳川殿御官途の事忠吉かはからひし事は|その世の関白前久公の御書の内に見えたり》彦右衛門元忠
は忠吉か二男也徳川殿十歳の御時元忠か十三の年より
駿河国に参らせて御側にさふらはせ御軍始ありし日より