翻刻
【右丁】
元忠つねに御陣に従はすといふ事なく一生の高名又数を
しらす其中永禄十一年三月遠江国懸塚の湊にて今川の勢
をうちやふり元亀三年六月姉川の合戦【注】にさきをかけ同
き年十月三方か原の戦にみかたやふれて引返すに元忠
一勢とつて返し散々に戦ひ信玄の陣より射ける矢に疵
かうふるかたきすでに浜松の城にすゝみ来る元忠又城中より
きつて出おほくの敵を追払ひ天正三年の夏長篠の合戦に
さきかけし同秋諏訪原の城攻られし時元忠仰を承り城の
ありさまうかゝつて城中よりはなつ鉄炮に左りの股に疵
かうふるこれよりかけ引自由ならす同き八年の冬高天神の
【注 姉川の合戦は元亀元年】
【左丁】
城を攻九年の春城落しに討とる所の首十九此年の夏駿
河国持舟の敵をうちやぶり同十年二月甲斐国にいらせ
給ふ時駿河国を過給ふに敵田中の城よりいつ元忠仰を承
て敵を打破る此年武田四郎ほろび元忠等仰を受古府中に
陣を取北條左京大夫氏直武田か国を争ふて甲斐国に向ふ
元忠三宅惣右衛門康俊等と御方わつかに六百余人の勢を以て
左衛門氏勝か《割書:北|條》一万余騎と戦ひ首五百余きつて新府の御陣に
参らす氏勝すてにまけ軍しつると見て氏直以の外に驚き
美濃守氏規を《割書:北|條》して和睦の事申て引返さる元忠か功其賞
これかろかるへからす汝とり得し所なれはとて甲斐国郡内の地を