翻刻
【右丁】
下し賜て当国を鎮らる同十二年小牧の軍ありし時元忠とゝ
まりて甲斐を守る嫡子新太郎忠政を御陣に参らす忠政
此年十九歳にして軍始してみつから敵の首取て献す明
れは十三年《割書:閏》八月御方の人々信濃国上田の城を攻て利
を失ふ元忠か後陣をうちたりしか敵又戸倉城より出て戦ふ
鳥居か軍勢等危く見へたりしに巨海孫七郎を始として
宗徒の郎従敵陣にきつて入散々に戦ひ究竟のもの共
廿九人迄討死す敵も敢て進得す元忠から川をうち渡り
吉田の台に旗打立御方をまつ御方の勢こゝかしこより
馳集つて敵をまつ敵も又川を渡て戦ふに及はす明の日
【左丁】
御方筑磨川を渡りて八重原に打上りに敵又うち出ツ御方
の人々進み戦んとはやりしを元忠制して戦はす十八年の
五月関白殿北條をうたれし時元忠相模国筑井の城をせめ
破て又武蔵国岩槻の城に向ひ上方の軍勢と互に先を
争て進む元忠搦手に向て外城を攻やふる城兵詰の城を
やふられしと鋒をそろへきつて出つ元忠か郎等安藤寺田小田切
一宮なといふ一人当千の兵三十三人同枕に戦死す疵を
蒙るもの七十余人本多中務大輔忠勝父子大手の門を攻
やぶり大手搦手一手に成て攻しほとに城の兵こらへす元忠に
つきて降人になつて出つことし関東へ移らせ給ひしかは