翻刻
【右丁】
下総国矢作の庄を給て領す《割書:四万|石》これよりさき関白殿
元忠を召て叙爵せさせんと宣ふ元忠承りて元より無骨
の田舎人身も又かたわに成て候へは殿下に召仕るへき事叶ふ
へからすあはれ御免を蒙るへしと辞し申す其後関白殿
元忠か嫡子新太郎忠政を以て羽柴下総守雄利か女に配せ
て其養子となし召仕るへしとありしにも愚息を以て下総守か
女に配せられんには其仰に随ひ候へし殿下に召仕るへきの条は
御免を蒙り候へしと元忠か曩祖以来徳川譜代家臣の義に
候へは子孫に至て他家に奉公仕るへきものには候はすと申秀吉
鳥居の申所其謂ありとて雄利か女を以て新太郎か妻と
【左丁】
なされはしめ元忠か若き時徳川殿御筆を染られて其戦
功を賞せらるべきよしを仰られしに君既に某か労を知たま
えり某又いつれの人に向て御感状を証跡として其功に
ほこり候へきと申て辞し申す慶長五年六月七日徳川殿
上杉中納言を御退治あるへきにて奥に向わせ給ふ時元忠を
はしめ宗徒の御家人を撰まれ伏見の城にとゝめらるかゝる
所に上方又一時に兵起りて秀頼の御使伏見の城に来り
其城すみやかにひらき渡すべきよしを下知す元忠その
よしを聞て徳川殿の御家人等此城にのこりとゝまりし事
かゝらん時の料に侍るまいらする事叶ふへからす猶も参ら