翻刻
【右丁】
せよと候はんには只攻めやふつてこそ取給ふへけれと答て城下
の人屋焚はらつて寄来る敵を待元忠人々を本城に集て
多からぬ御方こゝかしこたすけあわん事かなふへからず
只各かかためたらん所を能ふせきて他の勢を頼たまふ
へからす今生の見参只今を限りとすいさ最期の名残惜
まんとて酒宴してこそあそひけれかくて七月晦日の夜
より上方の軍勢都合九万三千七百人城の四面にをし寄
城の内には思ひきつたる究竟の兵こもつたれはたやすく落
へしとも見へす明れは八月朔日城中忽ちに返り忠のもの
出来て本城に火かゝり敵こゝかしこに入る元忠か手の
【左丁】
もの百三十七人戦死し残る所わつかに四十八人家の子郎
従はや御自害あるへしとすゝむ元忠あさわらつて
いや〳〵思ふ子細あり自害をはすへからす懸引自由
ならねともいてさらは最期の軍して汝等に見せん
するとて城中よりきつて出思ふさまに戦ひ年つもつ
て六十二秀頼の足軽大将雑賀孫市重次かために討れ
けり大坂の奉行等物始よしと悦ひ大将の首なればとて
鳥居か首を京橋の口にかくこゝに都の商人に佐野四郎右衛門
と云者元忠か許に往来し年来の情深かりしかひそかに彼
首取て知恩院の内なる長源院にそ葬りける子息新太郎忠政