伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・中) - 翻刻

藩翰譜(四・中) - ページ 39

ページ: 39

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【右丁】 せよと候はんには只攻めやふつてこそ取給ふへけれと答て城下 の人屋焚はらつて寄来る敵を待元忠人々を本城に集て 多からぬ御方こゝかしこたすけあわん事かなふへからず 只各かかためたらん所を能ふせきて他の勢を頼たまふ へからす今生の見参只今を限りとすいさ最期の名残惜 まんとて酒宴してこそあそひけれかくて七月晦日の夜 より上方の軍勢都合九万三千七百人城の四面にをし寄 城の内には思ひきつたる究竟の兵こもつたれはたやすく落 へしとも見へす明れは八月朔日城中忽ちに返り忠のもの 出来て本城に火かゝり敵こゝかしこに入る元忠か手の 【左丁】 もの百三十七人戦死し残る所わつかに四十八人家の子郎 従はや御自害あるへしとすゝむ元忠あさわらつて いや〳〵思ふ子細あり自害をはすへからす懸引自由 ならねともいてさらは最期の軍して汝等に見せん するとて城中よりきつて出思ふさまに戦ひ年つもつ て六十二秀頼の足軽大将雑賀孫市重次かために討れ けり大坂の奉行等物始よしと悦ひ大将の首なればとて 鳥居か首を京橋の口にかくこゝに都の商人に佐野四郎右衛門 と云者元忠か許に往来し年来の情深かりしかひそかに彼 首取て知恩院の内なる長源院にそ葬りける子息新太郎忠政