翻刻
【右丁】
久五郎成次等は宇津宮の御陣にさふらひしに忠政をは
此所にとゝめて景勝か兵をふせかせられ成次をは上方の
御陣にめし具せらる東西こと〳〵く軍終しに至て忠政
父か遺領を給ひ《割書:四万|石》叙爵して左京亮となされ同七年
多くの地をつけて陸奥岩城の城を給る《割書:十万|石》かくて忠政
其父のために一寺を新恩の地に建立して長源寺と号
《割書:これ元忠の法名を|とれりといふ也》徳川殿元忠か事忘るへからすとのたまひて
香華の地を寄附せらる《割書:御手印をなされて百石|の地を寄附せらる》其後又下総国
竹貫の地を加給ふ《割書:一万石を加へ給りて凡|十二万石となる》大坂前後の戦ひに
当家譜代の大名には忠政ひとり関東にとゝめられ若
【左丁】
君を守護し参らせ宇津宮会津の軍勢彼下知に
随ふべきよし御教書をなされたり元和八年陸奥出羽等の
守護のために出羽国最上の城に移たる《割書:二十四万石〇このときに|酒井宮内少輔戸沢》
《割書:右京亮松平丹後守等も奥羽の地にうつさるこれら皆忠政か親族たるゆへ》
《割書:なり一説寛永三年羽州寒河郷【寒河江ヵ】二万石の地を加へ玉りて凡二十四万石を領》
《割書:すといふされは始は廿二万|石を下し給りしにや》寛永三年従四位下にあけられ此年
九月五日六十歳にして卒す《割書:むかし忠政か父元忠をうちたり|し雑賀孫市重次そのゝちは》
《割書:水戸中納言の家にそさふらひけるある時重次中たちをもつて忠政か》
《割書:もとへいひ送けるは重次むかし元忠の御最期に参りあひ其時の御物》
《割書:具我家につたへ訖ぬ先考の御形見に御覧せんために返しまいらせ度》
《割書:こそ存すれといふ忠政大に悦ひなからん父か形見これにすくへからす》
《割書:給つて一目見はやと答ふ重次みつからたづさへて彼舘にむかふ忠政》
《割書:門外に出迎て重次を奥の居間へ請して亡父にふたゝひ対面の心地》
《割書:し侍るとて泪を流してありし甲冑太刀刀押板の上にかきすへてこれを》
《割書:拝すすへて今日重次を饗せしやうまことに善尽し美尽せり明日》