翻刻
【右丁】
《割書:代の功を思しめし合されて忠春をよつきとして所領の地もとのことく》
《割書:給るへしと仰られしに井伊掃部頭直孝あなかちにとゝめ申けるはかれか》
《割書:父祖累代の功を思しめされは忠春か奉公の功にしたかつて此後はいか程》
《割書:の御恩をも給るへし兄忠恒かよつぎとなされん事はしかるへからす其故は》
《割書:忠恒か身を終るまて出てつかふる事もなきたにあるを父祖の功をたのみ》
《割書:よつきの事をも望請申さゝる条憲法をそむきて上をなみし奉る》
《割書:に似たりかつはをのか身の不孝なることをかへり見すかえつて継母を》
《割書:うらむるか故に終に弟ある事を御聴にも達せずかれといひこれといひ》
《割書:如此輩はこらさすんは向後不忠不孝の御家人等何を以ていましめんや》
《割書:と申けれは忠恒か家絶たりき又掃部頭かかくあなかちにとゝめし事は》
《割書:ふるきうらみありての故也忠政か娘は掃部頭の兄の兵部少輔直継か妻》
《割書:也き直継天性愚なる人也しかはある時にたはふれに刀をぬき妻の面に》
《割書:疵つけたり忠政大にいかりて直継か愚なるは天下の人のしれる所なれば》
《割書:日ころはとてもかくてもありなんかゝるしわざこそやすからねとて彼妻をむ》
《割書:はひかへす直継はいかなる事ともおもはさりしかと弟の直孝又いきとをり》
《割書:てとりかへさんとせしに忠政これをかへさず此事以の外のさわきとなり》
《割書:台徳院殿大相国大に驚思召井伊鳥居の両家は殊に当時の重臣》
《割書:なれはかたしけなくも色々にやわらけ仰下さるれとも忠政申旨ありて》
《割書:仰にも随わす此上はとて事やみぬこれよりして両家たかひに不快に》
《割書:ありしか今此時に至て恨みを報ひられたりと也按するに直孝は》
【左丁】
《割書:さしも累代の名臣也いかて私のふるきうらみを以て公義を廃すべき》
《割書:直孝がとゞめ申旨ことわりなくは将軍家またもちひさせたまふまじ》
《割書:直孝のかく世の疑ひうけし不幸とや|いふへき又さもありしもしられす》
主膳正平忠春は左京亮忠政か三男兄忠恒卒してよつき
なけれはかの家をのつから絶ぬこゝに忠政か三男ありと聞召
及はれたり彼父祖の功を思召か故に朝夕召仕るへしと仰
あつて新に信濃国高遠の城を給《割書:三万石を領す後に三千石|加られ三万三千石を領せし》
《割書:といふ〇忠春兄か家の絶たるにつけて其母をふかくうらみしはさしも》
《割書:左京亮殿は孝行におわしませしになんそ我母のみたりかはしく》
《割書:すちなき事をし出し給ひしされは身の終給ふまて御うらみふかゝりしを》
《割書:ひかことにはおわせす忠恒我心をしり給へはさこそは思ひ玉はす共世の》
《割書:人は忠春は此事母にもうつたへけれは女心にてかくはありけめなとゝおも》
《割書:わん事のはつかしさようらめしき母の御心也とて其事ありし頃より母》
《割書:のもとへはまいらす母かいまはの時にもふかく歎き|かなしめ共終に対面にはおよはさりしと聞えし》寛文三年九月朔日