翻刻
【右丁】
たつ誰人の御矢に候か御弓勢の程驚入候とて家長か昨日
の矢をそ贈ける徳川殿此よしを聞召家長を御前に召れ
御鎧の上にめされたる御道服脱てたまはりけり同き
八年五月田中の城の辺にて麦からせて帰給ふ時敵望宗
の城より切て出御跡を襲わんとす家長宗徒の人々と同く
取て返し戦て首あまた切て引返す《割書:家長持舟の城降におつ詰|敵二騎つき落し石川日向守》
《割書:板倉源十郎石川三郎右衛門に|くひとられしといふ》同十年甲斐国に入て大野の要害
を守り松平玄蕃頭清宗と北條の勢と戦ひ首廿七うち
とる十二年小牧の軍に随ひ此年蟹江の城を攻十三年石川
伯耆守数正岡崎の城を去し後石川か寄騎の侍八十人
【左丁】
家長か手に属せらる十八年小田原の先陣を承ることし
関東に移給ひしに上総国佐貫の城を下し給ふ《割書:二万|石》慶
長五年の秋鳥居彦右衛門尉元忠等と同しく伏見の城にとゝ
まる上方の軍勢寄ると聞て二男小一郎をくして西城にそ
籠りける八月の朔日城中に返り忠の者ありて本城忽に
焼出猛火殿屋にもへ上る元忠内藤と一所にならんとて
西城の大門にて家長に打むかひ本城すてにかくのことし
猛火の中に焼死んよりは主殿一所に戦てうち死せんと
思ふはいかにといひけれは家長いや〳〵わ殿は本城を守る大
将也いかなる事ありとてもかしこにてこそ死すへけれ敵