伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・中) - 翻刻

藩翰譜(四・中) - ページ 48

ページ: 48

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【右丁】 へたゝらぬ其内にとく〳〵帰れといひしかは元忠こゝより取 てかへし筑紫勢と思ふさまに戦て本城にうち死す 家長大門をおしひらき矢たはねときておしみたしを付 敵をまちうけてさしつめ引つめ散々に射る死生はしらす 矢庭に射落さるゝ者すくなからす我身も矢疵おひ 手の軍兵も多くうたる家長安藤治右衛門に向て家長 か自害せんほとわ殿小一郎同しく敵ふせきて給へしと いひ置て城中に取て返し鐘楼の中に座して文一通書 て原田と云郎等を呼汝いかにもして敵にまきれ出関 東に下り此文を殿に奉れ左馬助にも我最期の様子を 【左丁】 よく語れと家長なにとか死したりしといわれん事口おし 汝もしのかれ出たらんには最期の供して死せんより忠功は 百倍すべしとく火かけよとて腹かき切て死す二男小一郎 生年十六歳安藤と共に切て出る事七八度敵多勢をうち 払ひ十六ヶ所迄手負ぬ父と一所に自害せんと引かへすに猛 火天にもへ上り黒煙地にうつまきて行かたさらに見へざれは 腹かき切てほのふの中に飛て入る原田終に敵の中を紛れ 出関東に下りて家長か文奉り事のやうくはしく申けれは 家長父子か最期の体神妙也と感し給ふ《割書:慶元通鑑にいつ|家長か戦死の事世に》 《割書:伝ふる事希なる故|にこゝにしるす》嫡子左馬助政長生年十六歳長湫の