翻刻
【右丁】
へたゝらぬ其内にとく〳〵帰れといひしかは元忠こゝより取
てかへし筑紫勢と思ふさまに戦て本城にうち死す
家長大門をおしひらき矢たはねときておしみたしを付
敵をまちうけてさしつめ引つめ散々に射る死生はしらす
矢庭に射落さるゝ者すくなからす我身も矢疵おひ
手の軍兵も多くうたる家長安藤治右衛門に向て家長
か自害せんほとわ殿小一郎同しく敵ふせきて給へしと
いひ置て城中に取て返し鐘楼の中に座して文一通書
て原田と云郎等を呼汝いかにもして敵にまきれ出関
東に下り此文を殿に奉れ左馬助にも我最期の様子を
【左丁】
よく語れと家長なにとか死したりしといわれん事口おし
汝もしのかれ出たらんには最期の供して死せんより忠功は
百倍すべしとく火かけよとて腹かき切て死す二男小一郎
生年十六歳安藤と共に切て出る事七八度敵多勢をうち
払ひ十六ヶ所迄手負ぬ父と一所に自害せんと引かへすに猛
火天にもへ上り黒煙地にうつまきて行かたさらに見へざれは
腹かき切てほのふの中に飛て入る原田終に敵の中を紛れ
出関東に下りて家長か文奉り事のやうくはしく申けれは
家長父子か最期の体神妙也と感し給ふ《割書:慶元通鑑にいつ|家長か戦死の事世に》
《割書:伝ふる事希なる故|にこゝにしるす》嫡子左馬助政長生年十六歳長湫の