翻刻
【右丁】
合戦の時父家長と共に多くの敵を射殺し太刀打に成て
敵の首取て献る天正十七年三月十五日叙爵し慶長
五年東西の軍起し時政長は宇津宮の御陣にあり関ヶ原
の戦にも猶宇津宮にとゝめらる此年父家長か遺領を賜る
同七年十一月廿一日新恩の地加られ《割書:一万|石》大坂の軍には関東
にとゝめらる元和八年陸奥岩城の城に移て所領の地
加賜り《割書:二万五千石|を加らる》寛永九年十二月廿八日従四位下同十一年
十月十七日六十七歳にして卒す嫡子帯刀忠興は慶長十年
四月十六日叙爵す大坂の兵起りし時は父子関東にとゝめ
らるただ忠興ひそかに馳上りて本多佐渡守正信につきて
【左丁】
其よしを申す井上主計頭正就か手に属らる明れは元和
元年三月廿五日父か所領上総国佐貫の地にして一万石
を給る大阪の兵再ひ起しかは酒井左衛門尉家次か手に属
して森豊前守と戦ひ首四ツをきつて献る同き八年
父か所領をうつされし時忠興又岩城の地を加給つて移る
《割書:一万石加へられ|合て二万石》父卒して後家をつく《割書:忠興と称せらるる事|御諱字賜ひしならん》忠興大
坂の軍に従ひ首四ツを切て献る承応元年五月
十六日忠興水野出羽守忠胤松平丹波守光重と同
しく仰を承り三人輪番して大坂の城をまもる事
ことしより万治三年に至れり《割書:世に/権(カリ)の|御城代と云》寛文の十年