翻刻
【右丁】
《割書:忠成三河の国大久保といふ所にすみ名字あらためて大久保と名乗また》
《割書:三河国前木にすむ桐山の大久保といふ一流あり亦駿河国にありと云々》
《割書:按するに此記のしるせる所宇都宮か後大久保と名乗候事つまひらかなるに》
《割書:似たりされと家のつたふる所にあらされはこゝに注す》
蓮常か四代の孫宇津八郎左衛門尉某はしめて松平和泉入道
殿につかふ《割書:御法名|信光》此後子孫なかく当家譜代の侍とはなりてけり
其子次郎右衛門尉忠興其子左衛門五郎忠武といふ忠武
か世に始て大久保とハ名乗けり《割書:家に伝ふる所は此時紀伊の国|の住人大久保といふ功のもの三河》
《割書:の国に来りしにそれか家号をうけて大久保|とハ称せし又長親の仰によれりともいふなり》
爰に当国の住人松平弾正左衛門尉昌安其身は岡崎の城に
ありなから山中の地をもかね領し東三河こと〳〵くうちした
かへんとす和泉入道殿四代の御孫安祥次郎三郎殿《割書:御諱|清康》十三の
【左丁】
御時御父源蔵人殿の《割書:御諱|信忠》ゆつり請給ひて安祥の城に住み
たまひいとけなきより御心も剛に御謀もいみしく十六歳
の御時まつ山中の城を攻とらんと議せらる忠武いさめまいら
せ《割書:大久保彦左衛門物語に此事をしるし七郎右衛門とのす|左衛門五郎後に七郎右ヱ門といひしなるへし》時をまち玉ふには
しくへからすとて此年大永六年の四月風はけしく雨甚
しき日御勢引くして山中の城をおそひとる此いきほひ
に乗して岡崎の城をも攻らるへしと聞へしかは弾正左衛門
尉大におそれいそき聟君となして岡崎城をゆつりま
いらせ二郎三郎殿忠武をめして汝か功莫大也恩賞請によ
るへし望申せと宣ふ忠武承て君に忠つくさん事めつ