翻刻
【右丁】
らしからす子息等みな一所懸命の地下したひ某又年老
たり何の望は候へきと申二郎三郎殿聞召れ功あるものゝ
賞行ふに壱人か功を賞するのみにあらすおふくの忠を勧
めんかため也汝辞する事あるへからすひらに望めとかさねて
仰下さるさらは此国にもちゆる升つかさとつて侍らんには老
やしのふほどの料は候ひなんずと申すやすきほとの事なり
とて御ゆるしをかうふる忠武天文十六年二月四日に死しぬ
男子四人嫡男は新八郎忠俊《割書:後に五郎右衛門と申|剃髪して常源と申》二男左衛門
四郎忠次《割書:忠次か子阿部定次か養子とする阿部|四郎兵衛忠政と申と云々或は三男とも云》三男甚四郎忠員
《割書:後には|平右衛門》是相模守忠隣か祖父なりけり四男弥三郎忠文【忠久ヵ】と
【左丁】
申す《割書:家の系図には忠武か子息等はしめて大久保と名乗としるせり|按するに山中の勢をとりし事大久保の家初度の大功なり》
いくほとなく二郎三郎殿世をさらせ玉ひ贈大納言家
《割書:御諱廣忠此時には|千松丸殿と申奉る》御年わづかに十歳にならせ玉ふを内
膳正信定《割書:出雲守長親の二男|二郎三郎殿の御叔父》岡崎の城を出しまいらせ御領
こと〳〵くうばいとる安部大蔵を初て御家人少しわか
君の御供し大久保兄弟はのこりとゝまる安部伊勢の
国より駿河の国府に趣き今川殿を頼しかは義元
朝臣軍兵をさしそへて三河国牟呂の城に若君を
納らる《割書:天文四年二郎三郎殿うせ給ひ贈大納言家国をさり給ひ|伊勢の神戸に趣き遠江の貝塚にうつり同五年九月牟呂の》
《割書:城にいらせ給ひ|しなり》内膳正信定やすからぬ事におもひ此上大