伊那市×みんなで翻刻

コレクション: 内藤家資料 (1) 2

藩翰譜(四・中) - 翻刻

藩翰譜(四・中) - ページ 52

ページ: 52

翻刻

【右丁】 を御座所となるへきによつて四月三日近江の長浜 にうつされ近江美濃飛騨三ヶ国の役夫差して 城築て給る《割書:二万|石》十七年七月信成卒す年六十八才 《割書:按するに天文十四年生れたらん|には六十七才にあらすや》其子紀伊守信政生年十九才 にて大番の頭となされ《割書:天正十|三年》所々の軍に従ひ関か原 の合戦に石川長門守康通等と沢山の城をうけとる 父に継てのち大坂の兵起りし時はせむかつて城を せめふたゝひ起りしには西国通路の要害なれは とて尼かさきの城には信政をこめらる元和五年 大坂の城修せられそのゝち信政に仰せて此所を守 【左丁】 らせ畿内山陽山陰南海西海数十州の鎮となされたり 《割書:是大坂の|御城代初》寛永二年行年五十九才にて卒すその子 豊前守信照父につき寛永五年陸奥棚倉の城 に移る《割書:五万|石》慶安二年十月廿五日大坂の城を守る《割書:これ御城|代なり》 承応元年五月職を辞し寛文九年正月十九日七十 四歳にて卒す其子摂津守信良父につきて豊前 守となる《割書:寛文十一年九月廿三日信良か請によつて舎弟|三左衛門某に新発田五百石をわかち賜ひしなり》延宝 二年十一月十六日致仕す其子紀伊守信勝実は石見守 信廣か孫伊勢守信充か嫡子信良かよつきとなる 《割書:信廣は紀伊守信政の二男|豊前守信照の舎弟也》