翻刻
【右丁白紙】
【左丁】
内藤 《割書:附》修理亮清成
修理亮藤原清成は仁兵衛忠政か男実は忠政か養子
也右京進義清か二男甚五左衛門善教に《割書:初は甚蔵と名のる|天文十二年始て岡崎》
《割書:の贈大納言家にしたかひ|徳川殿の御時迄つかへし人也》男子三人あり嫡男甚五左衛門何某二男
四郎左衛門正成《割書:大剛のつはもの強弓の手きゝ甲陽軍鑑等の諸伝記に|見へし高名かそふるにいとまなし安藤右京進重長も》
《割書:実は此人|の孫なり》三男は仁兵衛忠政也忠政天性身のいたはり多く
して年四十にあまりしに家をは清成にゆつり籠り
ゐて慶長十一年七月十三日七十五歳にて卒しける
《割書:関か原の時江戸の城を守る大御所駿河にうつらせ給ふへきによつて》
《割書:忠政もしたかひ上るへしとおふせ下されしかはまつかしこにうつりて》
《割書:ほとなく卒|すといふ》清成はしめ弥三郎と申けり忠政にゆつり