翻刻
【右丁】
久保兄弟に心ゆるすべからすとて新八郎忠利をめしいかの
八幡の神殿にて二心を存すましき由の起請文を一日に
七枚ツヽ三日まてこそかかせたれ忠利舎弟等をちかつけ
心あらん御家人誰か若君を迎んとおもはさるへきそれ
にかく我をうたかふは年比の本意察せられぬ事もし
おそなはつて後いかにくゆるともおよふましとて牟呂の
城に諜【惵ヵ】状し忍ひ〳〵に御一門の人々を始て譜代の
御家人かり催し天文六年五月朔日岡崎の城をうば
ひ返へし若君を迎納奉る《割書:此事くはしく大久保物語安部四郎|兵衛定次入道か記に見へたり按するに》
《割書:これ大久保か|家大功二》同十六年の春《割書:按するに此比まて|忠武世になからへし也》蔵人信孝罪有て
【左丁】
所帯を没収せらる信孝大におとろき今川殿につきて誤なき
旨を申披かんとす岡崎殿《割書:すなはち贈大納言|家の御事也》かの罪科かろからず
とてゆるし給はす信孝深くうらみ参らせ兵起して軍せん
とす此信孝と申は安祥殿の御弟岡崎殿の御叔父にて普代
の士にてありし其手に附らる甚四郎忠員弥三郎忠久兄弟
と彼の手に属す兄弟傍輩にむかつて我に信孝の郎等に
あらす主君の仰を蒙て彼の手にしたかふ輩也いかて反逆の
人にくみしてまさしき君にはそむくべきいさ岡崎に参らんと
いゝしかは人々皆尤と同して岡崎殿へ馳参る信孝彼等を
頼てこそ軍せんとは思ひつれ今はいかにもかなふへからすとて