翻刻
【右丁】
《割書:二代につかへ奉り度々の高名をあらはし近習にめしつかはる心や狂しけん|岡崎殿をうちまいらせんとして誅せられぬ人其ゆへをしらす其子与太夫》
《割書:此としに生れてむつきの中にてあり岡崎殿不便にやおほしめされけん蜂|屋は我につかへてつゐに二心なし今なにの故ありてか我を失なはんとは思》
《割書:ふへき狂気の至うたかふへからすされはかれか年ころ奉公にこたへて其子|か命たすくへし只成人のゝち法師になすへしと仰ありて針(ハリ)崎の正満》
《割書:寺にあつけらるこれ妻帯の寺なるによつて也そのゝちは住持の僧かれを|僧にせんも不便也侍になさゝらんにはなに事かあるへきとて幸若か弟》
《割書:子になして舞まふ事をまなはしむ徳川殿の御時針崎を始として|かの宗旨の寺院こと〳〵くにそむきまいらす与太夫針崎にて人となり》
《割書:しかは其恩これふかしといへ共寺をそむき御方に参り度〳〵【ゝ】の戦忠|をいたす自余の人ならんにはいかなる恩をもたふべけれ共はちやか子なる》
《割書:ゆへに其事もなし台徳院殿大相国此よしをしろしめされ与太夫か子|与三太夫は御はなしの衆の末にめし出され舞まふ事をもゆるさせ給ふ》
《割書:へかりしにほとなくかくれさせ給ひしかは又其事もやみぬと云此事まこと|ならんには蜂屋か子孫は舞子と成てありしにや岡崎殿のなさけありがた》
《割書:き事に|あらすや》此等の外其高名数をしらす其後出羽守と申し天文
廿一年三十三歳にして沓掛の城にうち死す其子新六郎
【左丁】
生年九歳にて徳川殿駿河国に渡らせ給ふ御供し弘治二
年の春御軍始ありし時おのれもまた軍始して一生の
高名かそふるにいとまあらす《割書:永禄四年の春石か瀬の鑓同六年|の冬一向宗の乱に蜂屋半之丞と鑓》
《割書:を合せし|事あり》御諱字賜て家政とめされ其後出羽守と申て
寄騎の侍三十騎を属らる《割書:家政酒井左衛門尉忠次石川伯耆守康|昌同日向守家成にも当時国務の》
《割書:事をすへ司|とるといふ》はしめ徳川殿信長と御和睦の事成りて
初て御見参ありし時に家政御太刀の役に候す織田殿
其名を尋らる出羽守家政と申す是かくれなき勇士也
とて盃を給ひ引出物せらる《割書:俊光|の刀》又武田大膳大夫入道信玄
天下武勇の士を評せられたりしに此出羽守を以て大剛