翻刻
【右丁】
の兵とは称しけり又元亀年中上杉弾正入道謙信徳川殿
に使参らせられし時家政にも書を贈られき其年三十七
才にして天正五年十一月に卒しぬ其子新太郎家次同く
父祖の名をおとさす長湫の戦に高名し慶長四年十二月
十日三十三歳にして死す《割書:家次御勘気をかうふる事ありて籠居す|榊原式部大輔康政歎申によつて康政か》
《割書:所領上野国舘林の城のほとり大嶋といふところ|にて所領の地五万石を賜ひ終に其所におひて死すと云》その子出羽守
家政也慶長四年生年十一才にして召出され同十三年に叙
爵し志摩守に任す大坂の御陣には将軍家の御陣に
したかふ《割書:御歩行頭と云一説に大坂の兵起りし時大御所の御供して|御歩行衆の頭たり五月七日かたきこと〳〵くやふれぬと聞召》
《割書:茶うす山にむかつて御馬をはせられしか城の方より兵多く馳来る|あれは御方かと仰られしに御供の人々其旗を見しらす家政進出て》
【左丁】
《割書:家政見てまいるへしとて同主膳にむかひさゝやくにあつて馬をはせて|植村主膳御馬にむかひあれは御方候と申す汝何ゆへにか敵にあらさる》
《割書:事をしれると仰らるさん候家政某にむかひ間無下に近けれは御敵|ならんにははせ帰り申さんには事猶急にして御謀をめくらされん程》
《割書:あるまし御方ならんには我馬をめくらして帰るなんかたきならんに|おひてはかけ入てうち死すへし我らかふるまひを見てすみやかに》
《割書:そのよしを申せと申て候ひしか馬をめくらし候程に扨こそ御方と|存じ候と申けれは家政か謀まことにゆゝしかりけるとふかく感し給ひ》
《割書:ぬと|いふ》寛永二年大番頭になさる此とし二十七歳四十以下の
人番頭となされし事家次を以て初例とす《割書:一説に元和九年に|番頭になされしといふ》
寛永十八年大和国高鳥城を給ひ《割書:二万五|千石》慶安三年《割書:閏》十月
廿三日に卒す《割書:あるとき人の物語せられしは植村の家は君につかへて|天の幸を得し事度々也元祖出羽守二度まて敵を》
《割書:うつ後に此家政も不思議の事ありき大相国家の御時元和八年|四月日光山に御参りあつて帰らせたまふ時下野の国宇津の宮の》
《割書:城をもつて御旅舘と定らる此城の主本多上野介正純かありさま|あやしき事ありと告申人ありて夜ふけひそかに城を御出ありて》