翻刻
【右丁】
《割書:江戸の城をさして帰らせ給ふ外人夢にもしらす此夜家政仮の|御所に伺候す土井大炊頭利勝あやしみなに事そ夜ふけて参》
《割書:たまふととふ家政されはいかなる事にやしきりにむなさわきし|いぬる事をえすあまりにあやしく覚へて伺候におよひぬといひ》
《割書:ひかは利勝よろこひ家政か耳につきてしか〳〵の事ありて只今の程|此御所を御立あるへき也としらせしかは家政御供にそまいりける》
嫡男右衛門佐家貞家をつき《割書:二万二|千石》二男志摩守政春父
か所領をわかつ《割書:三千|石》家貞か子出羽守家澄なり
【左丁】
植村
帯刀源泰勝は土佐守泰忠か男也泰忠初は法師にて
三河国鳳来寺の別当安養院と申す元亀三年の冬
三方か原の合戦の時軍功をあらはしけれは榛原の郡にして
所領給ひ御家人となされしとそ聞えけれその後高名
たひ〳〵にて北條の家ほろひし時本多鳥居等の人々
と武蔵国岩槻の城を攻をとし今年関東に移ら
せ給ひしかは上総国勝浦の地を給ひ 関か原の戦
には関東にとゝめらる明れは慶長六年所領の地加へ
給ひ《割書:都合五千|石を領す》十六年七月十八日七十三歳にして卒す