翻刻
【右丁】
聞て引かへす此後元真年老て家の事を以て信勝
にゆつり天正十五年十月十日七十五歳にして死しぬ
信勝父につきし後又甲斐国もとぬ【本巣】の要害をせめ
落し小牧の御陣には尾張国平【比良】城を守り長湫の戦ひに
随ひ参らせ高名し蟹江の城を攻られしに石川伯耆守
康昌と二人馳向ひ信勝水の手を取切て攻たゝかひ
郎従等数多うたせけれ城中既に水尽ぬれは城落ぬ
前田の城を攻給ひし時に康昌信勝等か功を賞せらる
慶長五年正月二日大坂に有りて信勝四十九歳にして
死したり子息信盛猶幼なかりしを大坂にめされて
【左丁】
父か跡を継せられ此年奥の上杉を御退治の時本多佐渡守
正信か手に属して馳むかふそのゝち信盛将軍家
にめしつかはれ慶長十九年御扈従組番頭になされ
大坂前後の戦に供奉し其後御歩行頭を兼て元和
九年大番頭にいたり慶安元年二月七日若君の御方
につけられ西城に伺候す《割書:組の衆共に|つけられたり》同二年十一月廿五日
大坂の城番になされて所領くはへ賜《割書:此時一万石を加へ給ひ三|河国榛原郡【ママ】二万二千》
《割書:石を領すといふされはこれより|先一万二千石を領すなり》かしこを守る事凡十二年万治
三年の冬請によつてゆるされ寛文三年三月五日
致仕入道して延宝元年十一月七日九十歳にして