翻刻
【右丁】
卒す其子丹波守信之父につきて寛文八年八月
十八日大坂の城番になされかしこを守る事延宝五年
に至り其子摂津守信友也
【左丁】
渡辺
丹後守源吉綱は忠右衛門守綱か孫忠右衛門重綱か子にて
徳川譜代の御家人也守綱初め半蔵と申て永禄四年長沢
の城を攻られし時先かけして小原藤十郎をうち取明れは
五年九月廿九日赤坂の戦御方の先陣忽に利を失ふ
半蔵一人取て返し戦事およそ十度中にも高名の鑓
三度におよひ御方終に勝軍敵の大将板倉弾正うたれ
死す鑓半蔵とよはれしは此時よりの事也ける《割書:此時首とも|御実検の時》
《割書:先陣やふれて一方は五六十騎をうしなふ一方はつゝかなし|是半蔵一人か力にて数十人を助しと仰られき》小坂井両度の
戦ひに先をかけて高名す此年一向専修の門徒叛き