翻刻
【右丁】
参らせしに守綱父子又其門徒なれは同しく針崎にたて
籠る明れは永禄七年正月十七日の戦に其父源五左衛門高綱
矢に中りて死しぬ《割書:四十二|歳也》其後守綱つみをゆるされてめされし
に父か遺領給りて程なく新恩の地を加らる《割書:父の領百貫也|三十貫を加へらる》これ
年頃の武勇を賞せられし所也其後遠州の懸塚越前
金か崎近江の姉川此余一言坂三方原田中天方土井
の城の戦に凡一生の高名かそふるにいとまあらす中にも
元亀三年十二月廿二日武田入道信玄遠江国に発向し三方
原に至る徳川殿守綱をめされて敵のやうを見せらる守綱
先陣の人々に向ひて敵さすかに多勢也今日の戦ひしかる
【左丁】
へからすと申とゝめしに御方あらそひすゝみてすてに戦ふと
見へしかは守綱石川伯耆守康昌か陣に馬を馳て先をかく
《割書:此日石川か手の一番鑓は外山小作也|半蔵も又これにつくといふ》手合の戦御方勝軍しつと見へ
しかと守綱が申せしごとくに敵の多勢入かへ〳〵戦へは
御方つゐにうちまけてちり〳〵になつて引返す守綱
伯耆守康昌と只二騎に成て大谷の道にかゝり浜まつ
の城に入城門をそかためけれかたき追すかふてよせ来る
守綱舎弟半十郎秀綱等と門おしひらきうつて出つゐに
敵をうちやぶる軍散して此度の功賞に所領の地加給ふ
《割書:浜名豊田二郡|にて百貫の地》長湫の戦に足軽の大将を承る御方の先陣