翻刻
【右丁】
残りとゝまる兵五十七騎を引へし尾張の国に趣き織田備
後守信秀にしたかふ《割書:信長朝臣|の御父也》【信】秀大に悦ひ信孝に案内させ
三河国にむかつてこゝかしこにせめ入岡崎殿今川の加勢こふ
て戦はんとて徳川殿わつか六才になり玉ふを駿河の国に
参らせらるかゝる所に田原の戸田こゝろかわりして若君信孝
かためにうははれ玉ひいくほとなく岡崎殿かくれさせ玉ひ
備後守信秀もうせぬ《割書:これよりさき蔵人|信孝もうたれし也》今川殿いかにもして
若君を迎んとて今年天文十八年十一月安祥の城を攻
やふり信長朝臣の今兄三郎五郎信廣をとりこにし徳川殿
に替らる大久保か一族信廣をおくりて若君をむかへ取り
【左丁】
まいらす《割書:此事の始終伊束法師か記につまひらかなり世につたふる諸記には|此事岡崎殿御在世のことくしるすはあやまれるに似たり》
弘治元年徳川殿の御家人今川の催促にしたかひ《割書:此時徳川殿御幼|稚にて駿河にわ》
《割書:たらせ玉ひ|しなり》尾張の国蟹江の城をせむ新八郎忠俊甚四郎忠員
か嫡子七郎右衛門忠世父子兄弟たれかれ七人さきかけして
高名をあらはす《割書:阿部四郎五郎杉浦八郎五郎河合帯刀同才兵衛凡|七人蟹江の城の七本鎗とよはれしなり〇按するに》
《割書:阿部四郎五郎といふも|甚四郎か子たり》同き二年の春徳川殿御軍始のため《割書:御年十|五才也》
三河国梅か坪の城をせめて廣瀬の城に至り見る七郎右衛門
忠世織田殿の家子津田兵庫助をうちとる是より此かた
大久保一族常に徳川殿にしたかつて軍の先をかけすと
いふことなく三河の国大略したかひまいらせしに永禄六年