翻刻
事のことくには見へたり其後太祖日本眞の國
王ありと聞しめして仲猷克勤等の僧をして日
本に使たらしめ給ひし時の勅使に持明天皇關
西親王國王なと云ふ事見へたれは此時に至り
て日本國王と稱し給ひしは義滿の御時をさゝ
れし也《割書:持明天皇とハ後光嚴院後圓融院皆皆當|時におひて持明院殿と稱し奉りしか故》
《割書:他關西親王ハ懷良の御事|日本國王ハ義満の事也》其後建文の天子より
《割書:太祖の皇孫にて太祖の|位を嗣給ひし御事也》義滿に賜られし詔書に
は奉天承運皇帝詔日本國王源道義なと記され
たり《割書:道義とハ則ち|義滿の別名也》其後太宗の詔書の式も又こ
れに同しく其勅書の式ハ皇帝勅論日本國王源
道義としるさる義滿薨逝の後勝定院殿へたま
ハりし勅書には勅日本國世子源義持としるさ
れ《割書:世子とハ國王の|嗣子を申すなり》其後宣宗英宗の代に暜廣院
殿に《割書:義|教》たまひ景泰の天子《割書:景帝と|申す》慈照院殿に《割書:義|政》
賜ひし勅書に義滿の御時の式のことし其後萬
曆の天子《割書:神宗と|申す》豐臣太閤に賜ひし詔書も奉天
承運皇帝詔す封璽爲日本國王なと見へたり又
本朝の國王異朝の天子に書を奉られし事懷良
親王を以て始とすへししかれとも其書式ハ詳
ならす又外國往來書式の事鎌倉の代に高麗の
國王元の世祖の勅によりて日本に書を贈りし
事ハ見へたれとも其詳なる事ハ見へす應永二
十九年の夏勝定院の公方朝鮮の書に答られし