翻刻
を以て其事の始とすへき也《割書:従是先者我國の管|領彼國議政府と往》
《割書:來の書ハ見へたり兩國の|君往來の始ハ未詳ならす》其後世世我國よりつ
かはされし書式ハ日本國姓某奉書朝鮮國王殿
下又日本國姓某拝復朝鮮國王殿下としるされ
彼國の書式ハ朝鮮國王姓某奉復日本國殿下亦
朝鮮國王姓某奉復日本國殿下としるせり《割書:京都|の代》
《割書:に明の天子に奉られしにハ日本國王としるさ|れて朝鮮につかハされし所ハ日本國姓某と而》
《割書:己記されし事如何なる謂にや彼國よりの書に|日本國殿下とのミ見へしハ我國の書に其稱と》
《割書:すへき所の見へさる故にかくハ記せしと見へ|たり日本國姓某とのミ記すへきハ我國にて一》
《割書:官一職の稱すへき事も無者の外國の人に|贈るへき所の書式也心得られぬ事なり》其後
豐富太閤の時に至て彼國よりの書をハ朝鮮國
王姓某奉書日本國王殿下としるし來れり其報
書にハ日本國關白秀吉奉復朝鮮國王閤下と記
されたり《割書:秀吉の書に姓を記されす亦閤下の|字を用られし事皆皆心得られす》
當家御代朝鮮人來聘書式の事
慶長五年關个原御陳の後天下 神祖に歸し同
七年宗對馬守義智《割書:對州之|太守》江戸に参勤す 神祖
義智に謂て宣く太閣秀吉朝鮮征伐の後ハ兩國
交信斷絕せり彼國より使をして和睦の事を請
ふにおひてハ元のことく通信をゆるすへしし
からすハ每年我國の農民をして彼國の米穀を
刈取しむへし此事を彼國に告て其答を申へし
となり義智則台命を朝鮮國に告しらせけるに
彼國王大に驚き同九年僧松雲に孫父或といへ
【右の付箋】
一本殊號事略上中下三冊ト分ケ皆々心得ラレズト
云迠ヲ上巻トシ今代外國来聘之事ト云ヲ
中巻トシ朝鮮聘使後議之事ト云ヲ下巻トナシタル
アリ其本ニハ當家御代朝鮮人来聘書式之事ト有事
ハ曽ヲナシ異本トヲモハル夫故中巻下トモ寫シ置