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る官人と副て我國に使たらしめ和平の事をこ
ひねかはる對馬守先兩使を對州にとゝめ置家
司柳川下野守をして江戸に遣しめて言上す
神祖の仰に來年乙己 秀忠公を御同伴にて上
洛あるへし其序を以て使の禮を受させらるへ
し兩使を京都に伴ふへしとなり同十年對馬守
兩使を京都に伴ひ來て台顔を拜せしむ事畢て
後本多佐渡守正信をして對馬守の旅館に至し
め給ひ朝鮮國通信の事ゆるされ來年丙午天下
を以て 秀忠公に讓り給ふへし近年の中朝鮮
王より使をして賀さしめ申へし松雲ハ僧徒な
り使たるへからす官人をして使たらしむへき
由を仰下さる對馬守則松雲文或等にいひ傳へ
て被國に歸す慶長十二年朝鮮國王三使をして
秀忠公嗣業の事を賀さしむ《割書:此時の三使ハ呂祐|吉慶丁好寛等なり》
まつ對州に來りて三月對州を發して同四月江
戸に至りて聘禮の節燕饗の儀等畢て三使駿府
に叅拜す此時本多上野介正純か亭におひて飲
食を給ふ三使歸國の後朝鮮王大によろこひ柳
川下野守の嫡子豐前守に嘉善大夫の官を授し
也此時 台德公へ贈り奉られし書に朝鮮國王
姓某奉書日本國王殿下としるされ其報書に日
本國源秀忠奉復朝鮮國王殿下としるされたり
元和元年大坂の亂静謐せしによりて同三年朝