琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

骨董録 - 翻刻

骨董録 - ページ 39

ページ: 39

翻刻

る後に武賁郎將陳稜をして兵をひきゐて其國 に至らしめ男女五千人を生捕て還れり《割書:隋の煬|帝大業》 《割書:六年の事也本朝推古天|皇十八年にあたれり》其後大元の時に至りて 使して招諭せられしかともつゐに従はず《割書:是元|の世》 《割書:祖日本を招諭せられし時の事なるへし|本朝にては龜山院御在位の時に當るか》其國王 初の姓は歡斯(ハアンスク)氏名は渇刺兜(カツラテウ)國人これを呼ひて 可老羊(コラウカン)といふ其妻を多抜荼(トハト)といふ《割書:一説に其國|王の姓名の》 《割書:事等は詳にたしかな|らぬ説なりといふ》數世を經て後國わかれて 三つとなる中山山南山北これなり大明の太祖 洪武五年日本につかはされし行人楊載使の事 訖りて歸る時に琉球を過て中國に内附すへき 由を招きけれは此年秋七月其王おの〳〵使し て朝貢し封爵の事を請申す《割書:我國南朝龜山院文|中元年北朝後圓融》 《割書:院應安五年の事也大明の太祖の使明州の天寧|寺の僧祖闡南京の瓦官寺の僧無逸九州に來り》 《割書:て南朝の關西の懷良親王のまみへき楊載此等|の僧と共に來るへし是大明より我國への使第》 《割書:二度に及し|時の事也》同十五年《割書:我國南朝弘和元年|北朝永徳二年也》中山王 察度山南王承察に印幣等を賜はる《割書:これ中國よ|り冊封使あ》 《割書:る事のは|しめ也》此使還て三王たかひに雄をあらそひ て相攻る由を申けれは三王相平らくへき由の 詔書を賜はりて同十六年《割書:我國南朝弘和三年北|朝後小松院永徳三年》 山北王怕尼芝にも印文綺等を賜はり此事勘合 文冊を三王に賜はるこれより山王皆中國に請 て其封を嗣《割書:王には紵絲紗羅冠服王妃には紵絲|紗羅王■【女扁に室】王相寨官等には絹公服等》 《割書:を賜ひ|し也》同二十五年《割書:我國比時南北一綂す|後小松院明徳三年》中山王