翻刻
て政すたれ諸按司多くは是に叛くつゐに賊臣
のために弑されて其位を簒はる浦添の按司其
賊を誅す國人これを推して君に登らしむこれ
を舜天王といふ王はもと日本鎮西八郎源爲朝
の子其母は大里按司の妹也
二條院永萬年中爲朝海に浮て流にしたかいて
國を求め琉球國に至る《割書:流に求るの義によりて|琉球と改稱せしといふ》
《割書:此説然るへからすこ|れより先此名あり》國人其武勇に畏れ服ふ其
國の名をあらためて流求と名付てつゐに大里
按司の妹にあひたして舜天王をうむ是則宗孝
宗乾道二年の事なり爲朝此國に止る事日久し
く故土をおもふ事禁かたくしてつゐに日本に
歸れり《割書:爲朝は義家将軍の嫡孫六條判官爲義の|八男十八歳の時保元の戰に父と同しく》
《割書:新院の御方にありて軍破て伊豆國大島に流さ|る二十九歳にして鬼島に渡り歸國の後國人等》
《割書:かうつたへに依て高倉院嘉應二年四月官兵を|さしむけらる三十三歳にして自殺す按するに》
《割書:本朝にて鬼島といふものは則今の琉球是也但|し爲朝二十九歳にて鬼か島に渡るといふ時は
《割書:六条院仁安元年の》事也此年は永萬二年にて其|八月に仁安とは改元ありき則宋乾道二年にあ
《割書:たれりしからは爲朝二》十八歳にて彼國に至れ|るにや彼國に至りし年に舜天王生るへしとも》
《割書:思はれす我國に傳へし所彼國に傳へし|所ふたつの間少しくあやまれるにや》爲朝本
國に還りし後は其母にしたかいて浦添の里に
あり成長するに從ひて其人よのつねなりにこ
ゑすたれしかは十五歲にして國人の ために推
したつとひられて浦添の按司となり二十二 歳
にしてつゐに此國の王とはなりたり《割書:今川伊豫|守入道了》