翻刻
《割書:大清太祖順治四年本朝後光明院正保四年按す|るに尚賢か代に當りて大明ほろひて大清の代》
《割書:とはなりたり然れとも此頃は閩廣の地いまた|大清に服せすおもふに大清に入貢の事は後王》
《割書:の時より始|れるにや》
第二十三代尚質在位二十一年四十歳にして薨
す《割書:大清康煕七年本朝後光明院承應二年按する|に尚質嗣封の後慶安三年九月我國に使を奉》
《割書:る》
第二十四代尚貞在位四十一年六十五歳にして
薨す《割書:大清康煕四十八年本朝今上寶永六年按す|るに尚貞か代に當りて[寛文十七年七月天和二年四月]我》
《割書:國に使を|奉れり》
第二十五代尚益在位三年 にして薨す
《割書:大清康煕五十年本朝今上正德二年按する|に尚益か時に寶永七年我國に使を奉れり》
琉球冊使并朝貢の事
琉球冊封の事大明洪武年中に始れりそれより
後は其國王嗣立て貢使を進らせて封を請ふに
及て給事中一員行人一員を封使となされ玉帶
蟒衣極品の服色を假さる閩の三司その使の料
大船二艘を作る凡其價おの〳〵二千五百兩餘
を費す黃屋二層を作りて詔書を安置し貯ふ所
の器用そこはくを以てす冊使福州に至りて南
海の神を祭て船に乘る船彼國に至る時其王法
司官一員をして數千人を引具して其船を那㶚(ナハノ)
港(ミナト)に引入れしめ其國の衆官大小百餘員をして
龍亭を迎恩亭にむかへ拜せしむ《割書:龍亭は詔書を|藏めし小しき》
《割書:なる輿|を申す》天使館にみちひき至て《割書:迎恩亭より館ま|て五里はかり有》