琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

骨董録 - 翻刻

骨董録 - ページ 58

ページ: 58

翻刻

  此後本朝にて錢を鑄られし事いまた聞す   皆皆異朝歴代の銭を用ひしと見へたりか   くて大明永樂の天子太宗の代に及て鹿苑   院公方義滿彼國の封爵を受られ其頃異朝   にして永樂新錢を鑄られしかは我國へも   頒賜はり《割書:是永樂錢我國へ|來りし始め也》其後東山公方義   政の世に奢侈を好みて國用甚た促しかは   寛正五年文明七年同十五年三度まて大明   の天子に錢を賜ふへき由を朢請ひ申さる   中にも文明十五年には十萬貫をたにたま   はりなは我國の用足なんと歎き申されき   其頃にはかほとまてに我國の財用はとほ   しかりき    謹按するに一說に文禄天文の頃より我    國にて永樂錢を通用せしといふ事あり    是は永樂一貫文を以て古銭四貫文に當    て永樂錢法にて古銭をも用ひしといふ    事なり 一天正十六年造黄金の大判小判   織田殿は財を生する才略おはせしかは國   富たり秀吉また其才おはせしかは天下を   しりたまひしより天下の財を聚斂して國   用を足されき天正十六年新に大判小判等   を造らる是世に天正十六年判といふもの