翻刻
なり但し是より三年の前天正十三年の秋
金賦とて大名小名に金銀を給ひし《割書:金五十|枚銀三》
《割書:萬|枚》さらは其頃すてに大判丁銀等はありし
也是は古よりありしものにて十六年の制
とは同しからさる也
一慶長四年始造一分判、
此年は秀吉薨し給ひし明る年にて關个原
の前の年也おもふに秀吉の末年に此事を
たくみ出されてかくれ給ひし後に功訖て
世に行はれしなるへし
謹按するに以上は皆皆 當家より前代
の事ともなり
一慶長六年の後に大判小判一分判丁銀豆板等
の制改る駿河判江戸判なと皆皆造ら
れし所を以て稱す此外に甲州判といふあり
これより後元緑八年まて年年に造り出せし
所の金銀の總數まつは金七千萬兩銀八十萬
貫目ほとのつもりと申す歟
一慶長十三年止永樂錢用京錢
京錢といふは異朝代代の古錢の事也これ
より永樂錢法はやみしなり
一寬永十三年六月新鑄錢《割書:寛永|通寶 》
江戸と近江國坂本と兩所にて鑄らるこれよ
りして本朝の銅錢ゆたかになりたり 猷廟