翻刻
四年の間諸國の浦浦にて外舶商賣せし時取
行し所の金銀の數はしるへからす《割書:これ|三つ》
一慶長六年より寛永十一年まて三十三年の間
は御朱印船とて我國の商人とも《割書:今の呉服所|の先祖又は》
《割書:富る商人共ゆるさ|れて行しなり》亞馬港ノビスバン暹邏安
南呂宋等の國國に年ことに行て商賣し此外
にも私に行てあきなふ事年年に絕へす其時
に我國の金銀をもち行し事其數いくらとい
ふ事をしらす《割書:これ|四つ》
一寛永の初まては今來れる國國の外交趾 占
城 安南 呂宋 ノビスバン イキレス
カレウタ イタリヤ 亞馬港なといふ國國
より年ことに來り商なひしたり其後耶蘇の
法をいたく禁せられしよりこれらの國國よ
り來る事をゆるされす是等の國國へ持行し
金銀のかす〳〵もしるへからす《割書:これ|五つ》
一寛永の初邪蘇の法をいたく禁せられしより
前かた三四十年か間我國にて其法を信受せ
しものとも年ことに其國國の師のもとへ贈
り遣し禮物金銀の《割書:これは商|賣の外也》いくらといふ事
をしらす《割書:これ|六つ》
一近年に至りて長﨑にて商賣の外私の商賣に
《割書:抜荷といふ|ことなり》外國へ入りし金銀の數しるへか
らす《割書:これ|七つ》