翻刻
上人興山靑嚴兩寺の住持職を兼帶し慶長の初
兩寺を以て其弟子勢譽に附屬し同十三年近江
國飯導寺にして入寂す七十三歳といふ
學侶行人兩派わかれ立事《割書:附》文珠院の事
文珠院勢譽は學德才能山中第一の聞ゑありし
かは木食上人關白に申て我弟子とし終に興山
靑嚴兩寺の住持職をゆつる慶長五年の九月東
西の戰興ると聞て大峰修煉の道場より相從ふ
僧徒に物具させて關个原の御陳に馳參る
神祖の御感斜ならす此年の冬興山靑嚴住持職
の事相遺あるへからさる由御書を賜はる同六
年の五月沙門の身多くの所領あらん事然るへ
からさるよし仰せありて《割書:木食上人の遺領は興|山寺領千石靑巖寺領》
《割書:三千石行人方行事領二千|石都合六千石の地なり》靑巖寺領三千石の地
を三分せられ《割書:興山寺領は|もとの如し》千石を以て一山伽藍
修理料として興山に附られ千石を以て學侶撿
校に附られ千石を以て碩學の僧配分料とせら
れ勢譽を以て興山寺の住持とし撿校を以て靑
嚴寺の住持となさる是よりして學侶行人の兩
派わかれたり《割書:此事本願寺を二つに分けられしに|相同しき神慮たるのよし世に申》
《割書:傳わる|所なり》其後 神祖駿河に御をうつされし時勢
譽を召れて今より後は常に御前に伺候すへし
とて其寺地を下されしかは文珠院を駿府に建
立して移り住し興山寺を以て其弟子應昌に讓