琉球・沖縄の世界を翻刻する

コレクション: ハワイ大学所蔵 阪巻・宝玲文庫 vol. 1

骨董録 - 翻刻

骨董録 - ページ 72

ページ: 72

翻刻

を朢申しけれは尤以て神妙の事なりと仰あり て御ゆるしを蒙りしかは《割書:德祖 猷祖御父子の|仰せありしといふ》 やかて登山し自らの力を以て興山寺の山上に 神宮拜殿寶庫鐘樓等を造り出して是よりして 毎月十七日には六十口の僧を供養して法事を なし毎日に御本地藥師供養并に護摩の法を修 する事闕如なし是則寛永四年の事也   學侶行人爭論の始の事 正保元年の春應昌并に行人の僧徒等 東照宮 神前におひて灌頂曼荼羅供等の大法會を修し て神威を永代に耀さん事を以て朢請ふ其年九 月應昌をめされ其請ふ所をゆるさる《割書:猷祖こと|に御感あ》 《割書:りしと|いふ》又御使を登山せしめられ一山の大衆に 其由を仰下さる《割書:御使は五味|金右衞門也》學侶僧徒あへて師 の旨に從はすして事終に行はれす同二年の春 學侶行人等の僧爭に及ふ《割書:是より先寛永十六年|興山寺庭儀灌頂の事》 《割書:に付て學侶の僧寶性院異論の事ありき終に此|時に至りて學侶行人とうの爭論起れるなり》 此年五月應昌入寂す八月又御使を以て山中を 鎭められ《割書:此度之御使は小堀遠江守|伏見より發向すといふ》學侶の僧寶 性院無量壽院并に應昌か弟子の僧立詮等同し く江戸におひて蟄居せしめられ《割書:世の人逼塞と|申す事なり》 十一月かさねて御使登山して學侶行人兩派の 事を糺問せらる《割書:此度の御使は安藤右京進曾我|丹波守五味金右衞門林春齋等》 《割書:也此御使還りて學侶は公家のことく行人は武|家のことく聖方は町人の如きと申すを御感あ》